東京ハードボイルド

インターネットを使い始めてからもうすでに20年以上の月日がたっていると考えるとなんだかぞっとする。

あえて言葉にするならば、それはモード系の女


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とある夏の話だった。印象的な出来事だったのですぐに記事にしたのであるが、決定打にかけるという理由で投稿を躊躇している間に季節が君だけを変えたわけだ。したがって冒頭の文章が8月云々と言う状態になっているのは華麗にスルーすることを推奨する。

 

 8月がまた、今年も過ぎて行こうとしている。だからこの限りある8月の時間を無駄なく過ごしたいと考えれば考えるほど、無駄に考えているだけである、

結果として無駄に過ごしてしまうということは毎年のことなので、諦めるしかないわけだ。

そんなおり、電車の車窓に一人の女が現れ、私の眼前で止まった。正確には私の方が電車の中なので、止まったのは私なのだ。

そんな細かいことはさておき
私の目の前に現れたのは、どう見ても可笑しな格好の女だ。
左右の丈が合っていないデニムにサスペンダーをして、派手すぎる花柄のシャツをパンツインしている。濃い緑の透き通るサングラスをしている。顔はたくさん化粧をしているが隠しきれない不細工さ加減が、逆にいじらしく感じて許しちゃうレベルの愛すべきおブスちゃん気味なのである。

西国分寺と言う、微妙極まりない駅にて遭遇したその奇をてらった生き物の名を私は

モード系の女と定義付けた。

容姿の美しさに不安が残る女子が安易に導き出すルートとして、ある意味確立されつつあるそのスタイルは、見方によっては悲しい所業であるが、軸がぶれないままそれを続けることにより画一された指針として、いつか飯のタネになる場合もある。

モード系の女は見た目はどう見てもモード系なのであるが、一般人とともに正しく電車を待つ。列に並んでヘッドフォンをしつつも電車の来るのをチラ見しながらスマホに目をやっている。

人は見た目が9割なんていう本なんかもあるぐらい、見た目というのは大切である。

 

見た目だけで判断してはいけないというのは、金よりも愛と同じぐらいにどうしようもないきれいごとである。


見た目が若いことを気に病む場合もあれば、老けていることを気に病むこともあるし、人によって価値観によって見た目は良くも悪くも変化する。その価値を決めるのはいったい誰なのかと言うと大抵不特定多数の他人であるため、そんな不特定多数の他人の価値観に左右される人生などはまっぴらごぼうのきんぴらごめんなのである。

きゃりーぱみゅぱみゅのような恰好はもともと容姿に自信がある女子がやることはない。残念ながらゆるぎない事実である。

 

菜々緒みたいな子があのような格好をすることはない。彼女ぐらいの”少し頑張ればそこそこかわいい”子だからあのようになったのである。自分のポテンシャルをわきまえたうえでのパフォーマンスが人それぞれに存在する。彼女の場合は少し頑張るよりも奇をてらってみましたと言う結果である。

そう、人には思いもよらない方向に働くポテンシャルというものが存在するのである。だから私が今回言いたいのは、自らを簡単に定義づけるよりも定義の外にあるポテンシャルを見つけるために、異常なほどのふり幅でいろんなことを試してみるべきなのだといいたいのだ。

届いたファックスの「様」を消して、また別のところへファックスするだけの簡単なお仕事をしているOLだって、希望を捨てずにやったことのないような奇抜なファッションで渋谷のスクランブル交差点でくるくる回り続けるだけで人生は変わるかもしれんのである。

人生なんて最後は何も残らなくて当たり前なのだから、やりたいことをやればいい。

人間なんて本来何も持たずに生まれてきたのだから、失うものなど何もないのである。

 

そのように自問自答を繰り返してふと気が付くとすでに電車は三鷹を過ぎていた。窓の外にいたモード系の女などは残像すら残らずに消えてなくなった。混雑に紛れて時間は過ぎていき、今日も一日が始まっていく。窓にうっすら移る奇をてらった格好もできずにネクタイを締めてスーツをまとったおっさんが、人の容姿のことをとやかく言える立場ではないのであるが、なんかちょっと頑張ってみようかなぁっておもうわけよ、

わりといつもね。

 

 

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