東京ハードボイルド

インターネットを使い始めてからもうすでに20年以上の月日がたっていると考えるとなんだかぞっとする。

オルガンに対する謝罪と賠償を考える朝


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朝、会社に行く途中にコンビニに寄ってソイジョイとコーヒーを買う。イヤホンをしながらそれらを持ってレジに向かうのだが、店員さんに失礼にならないように、イヤホンを外してレジへ行くようにしている。

コンビニレジにて

今朝は何やらボーっとしていてイヤホンを外し忘れていた。大音量ではないので会話ができるくらい聞こえてるのだが、今日は店員さんが途中で言った何かがよく聞こえなかった。私に聞こえたのは「オル〇スム」と言ったように聞こえた。

なんだそれ。

このシチュエーションでその言葉はなかなかシュールなのだが、なんと私と言う小市民は何も考えずに「はい」と答えたのだ。何故、「オ〇ガスム」に対して「はい」なのか。我ながら何でもイエスで済ます事なかれ主義に飲み込まれ、思わず「はい」と言ってしまったが、店員さんも何事もなかったかのように商品を袋に詰めて、金を受け取ると言ういつもの光景が繰り広げられた。

記憶の中のオルガン

コンビニを出た後の数分の間はそこからの連想で幼少期に自宅に在った「オルガン」を思い出した。オルガンと言ってもよその国の大聖堂にあるような荘厳なものではなく、家庭用の電子オルガンである。

私が生まれたころからあったと思われるそのオルガンは確か私が中学生になるころにはもうなくなっていたかと思う。スチール製の躯体で黒塗り、ふたの部分は家具調の木目で鍵盤は姉がマジックで記入したドレミファの文字。その文字すら古くなって消えかかっていた。

そのオルガンは姉が頻繁に使っていた時はリビングの目立つところに置かれていたが、いつしか使わなくなり、気が付いたら浴室の脱衣スペースの洗濯籠置き場と化していた。

そんな無駄なものをなぜ捨てないのか幼少期は疑問でならなかったが、それは姉含め親にとっては大事な思い出で当初は高級品だった電子オルガンのだから捨てることができない代物となっていた。

オルガンへの憎悪

しかし、私はこれさえなければもっと快適な暮らしができるスペースが作れるのにと長らく思っていて、それを捨てたいと言う一心で早く大人になってオルガンを捨てられるくらいの権力を持ちたいと思っていた。

オルガンはこの家のガンだ!とガンつながりで韻を踏むラップだって作れそうなくらいのアンチオルガン状態である。チェケラ。

中学生になったころオルガンが捨てられることになった。

どういういきさつで捨てられることになったかは今は思い出せないが、オルガンを捨てた跡地にはオルガンと同じくらいの大きさの棚が置かれ、一時期は綺麗に収納されていたが、いつの間にかオルガンが置かれていた時と変わらないくらいのゴチャついた感じになっており、これはオルガンがガンなんじゃなくてオルガン意外にガンが存在すると言うことを知ることになった。オカンだ。

オルガンとの和解

長らくのオルガンに対してアンチズムは次第に消えていき、私はオルガンとの和解を自分の心の中で行い、楽器をうまく扱えなかった私の家族を許してくれと今は亡きオルガンに対しての贖罪をしなければと深く思った。

そんなことを会社につくまでの数分間で懐古した人間の脳の処理速度に驚愕するのだが、問題はそこではない。

なにが「オルガ〇ム」に聞こえたのかではないだろうか。